総支配人 黒曜美咲【VIP素直クールスレより】 出張編

投稿日:

転載元:

https://ex15.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1151323938/

https://ex16.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1151991924/

https://ex16.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1152294743/

https://ex16.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1153126067/

https://ex16.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1153561259/

https://ex16.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1154268691/

177: 総支配人 黒曜美咲1/6 2006/06/28(水) 01:39:56.03 ID:d3buAcIhO

「実は君に頼みたい事があるんだ」
「……何か大事な話みたいだな」
呑処、来栖。
まだ夜も更けきらない時間だというのに、すでに客は一人もいない。
そして目の前には白鶴。つまりはそういう事だ。

「ああ。頼みというのは他でもない」
まるで漫画か映画からでも聞こえてきそうな台詞で、美咲さんは切り出した。

「今度の私の出張に付き合って欲しいんだ」
そして投げかけられたのは、来栖での話題には珍しい仕事の話。

「出張?」
詳しい話も聞く意味で、俺は主語を反芻する。
「そうだ、出張だ」
そう言って、美咲さんは事情を話し始めた。

-----

「……というわけだ、来てくれるか」
説明を終え、美咲さんはコップを一口あおった。

整理してみると、
実はうちのホテルは「従業員の若返り化」という方針を取っているらしい。美咲さんが支配人をやっているのもその関係だとか。
で、その方針を他にアピールするのに良い機会だが、その若支配人が親父ほどの年の人間を補佐に付けているんでは説得力がない。
そこで俺に白羽の矢が立った、というわけだ。
出張自体は何ということはない、半年に一度の定例会議だが、その補佐といっても資料読み上げ、内容のメモ等々、やることは沢山あるとのことだ。

 

178: 総支配人 黒曜美咲2/6 2006/06/28(水) 01:40:37.91 ID:d3buAcIhO

「どうだろう、川島君」
「うーん……」
………って悩んでるけど、これってよく考えたら支配人直々の指示だよな。
俺を川島君と呼んでいることが、それを如実に物語っている。
「……すまないな、こんなところで仕事の話をしてしまって。だが早く話しておかないと困るだろうと思ったんだ、許して欲しい」
そこは謝っても『気が向かないなら来なくてもいい』とは言わないのね。まぁ断る気もないけど。
しかしその辺なあなあにしないところが美咲さんだっつーか。うん。
「……いいよ。行く」
「来てくれるか。ありがとう、感謝する」
「お礼なんかいいって。これは支配人の命令だろ?そりゃ行かなくちゃな」
「……わかってるじゃないか。君のそういう分別のあるところ、私は好きだぞ」
「会社で普通にしてるだけだけどな」
「それでいい。仕事は真面目にするものだ」
そう言って焼き鳥を口に運ぶ美咲さん。

うーむ出張か……そういや初めてだな。
仕事で外泊なんかしたことない………外泊だって!?

出張……お泊まり……男として何やら妖しいことを考えずにはいられないシチュエーションだ……
これは み な ぎ っ て き た ぜ !!

『咲ちゃん、晩に襲われるなよぉ』等とのたまう親父を焦りつつも軽くいなし、ビールをかっくらいながらアホな事を考える俺だったが、まさかこれより何十度も斜め上を行く事態が起こるなんて、この時は知る由もなかった。
あぁなかったさ。なんか文句あるか!!

 

179: 総支配人 黒曜美咲3/6 2006/06/28(水) 01:41:17.87 ID:d3buAcIhO

-----

二週間後。
朝八時、東京駅。快晴。

夜勤明けから風呂だけ入りに家へと帰り、6時帰宅7時出発というほうぼうの体でここまでやってきた俺は、待ち合わせの改札近くの柱に寄りかかって本を読んでいる美咲さんを発見した。

「おはよう、深澄」
「あー……おはよう」
のそのそと近づいてくる俺に気付き、早朝とは思えぬいつも通りのハキハキとした口調で挨拶してくる美咲さん。
今日も今日とてパンツとスーツでビシッと決まっている。
手に持っている文庫本の進み具合を見るに、30分前行動は忠実に実行されていたようだ。
「……何読んでたんだ?」
「ん、昨日書店に立ち寄ったときに平積みされていたものを適当に買ってきた」
あっさりと読みかけの文庫本を閉じ、こちらに表紙を見せてくる。
……ま、あえて何かは言うまい。
「では、行くか」
こうして俺達の出張は始まった。

後から聞いた話だが、なんと今日は日帰りらしい。出張だとか言うから泊まって朝帰るのかと思ってたが……まぁ今日び大阪まで三時間かからんしな。
アホな妄想が崩れ落ちたことに落胆と何故か安心を感じつつ、俺は明日やって来るであろう自分の体力の限界を危惧していた。
ゆっくり寝れると思ったのにな……ま、いいか。新幹線で寝かせてもらおう……

 

180: 総支配人 黒曜美咲4/6 2006/06/28(水) 01:42:35.23 ID:d3buAcIhO

-----

そんなわけで一時間後、新大阪行「のぞみ」車内。

「見ろ、深澄。海が綺麗だ」
「そうだな……」
「君は泳ぎは好きか?夏にでも遊びに来よう」
「いいねぇ……」
「どうした、元気がないぞ。今日は昼から会議なのだから、もっとしゃんとしておきたまえ」
「ああ、悪い……」

五月晴れと言うにふさわしい快晴の下、「景色が見えない」の一点張りでカーテンを閉めさせてもらえないせいで俺は眠りにつくことも出来ず、仕方なくこうして今時速300キロからの太平洋を眺めているというわけだ。
「うおっまぶしっ!」
くそ、水面が乱反射してめちゃくちゃ目にクる。
「アイマスクならあるが」
「……旅慣れてるんだな」
もう今更寝る気にはならない、という皮肉もこめて、俺は適当に話題を振った。
「ふむ……出張は年に二回だけではないし、夏には実家に帰っているからな。嫌でも慣れるだろう」
「ちゃんと帰るんだ。俺なんか大学入ってから一回も帰ってないな……」
「毎年顔を出さないといけないのでな。そうだ、君の実家はどこなんだ?」

 

181: 総支配人 黒曜美咲5/6 2006/06/28(水) 01:44:13.65 ID:d3buAcIhO

「ああ、石川」
「ほう……何故こっちに来たのかね?」
「姉貴に大学は東京のを出とけって言われてな」
「ではその姉上に感謝だな」
「なんで」
姉上て。
「姉上の口上のおかげで、私は君に逢うことができた。君は私に逢うことができた」
またそんなロマンチックなことを……
「まぁ……戻り戻ればそうならんでもないわな」
そしていつの間に俺までロマンチストになったのやら。
「礼を言わねばな。いつか石川に行ったときに」
「なんでそうなる!?」
「そうだ、今年は君が実家に来たまえ。紹介したい人もいるしな」

そんなことをするには相応に必要な気がする時間も覚悟も、俺が振った話題さえもすっ飛ばして、この人は『実家へのお誘い』を、この東海道新幹線のレールの上でいとも簡単に言い切った。

「いやいやいやいや、行けないって」
「何故だ?」
「何故って、付き合ってもないのに紹介されても仕方ないだろ」
「……君は本当に分別の付く人間だな」
「分別も何も、当たり前のことじゃん」
「私のことを好いてくれている人です、と紹介して何がおかしい?」
「ちょ、そんなことここで言うなよ!てか言うつもりなのか!?」

 

182: 総支配人 黒曜美咲6/6 2006/06/28(水) 01:45:33.89 ID:d3buAcIhO

新幹線でこんな会話してたら、『親に話すことは話すけど断られても駆け落ちしてやる!今から行ってやってやる!!』的バカップルみたいじゃねーか!

「……あのさ、今は俺が一方的に好きだって言ってるわけじゃん」
出来る限り小声で話す。
「そんな俺が親御さんのとこへ行ったらどう思う?いくら自分の娘が『私が呼んだ』っつっても無理矢理俺がついてきたようにしか見えないだろ?」
「問題ない。母は私のことを信じているからな」
即答ですか。
「だいたい君は考えすぎだ。別に結婚の挨拶に行くわけでもあるまい。
よしんばそうなったところで何の問題もない。私はこの男が好きなのだ、と一言言えば母は納得する」
お父さんはどうなんだ、なんてもちろん怖くて訊けるはずもない。
「いいか、必ず来てくれ。紹介しておきたい人がいるんだ」
直球なのか回りくどいのかもわからない言葉遣いで、美咲さんは俺に念を押した。
そのいつもに増して真剣な眼差しに、俺は反論のひとつも出来なくなり。
「……盆休み、取れるかなあ……」
細かい光が舞い踊る水平線に力なく視線を移しながら、俺は諦め気味に漏らした。

列車は一路、大阪へ向かう。
妙な女支配人とそれに振り回される男と、そしてまたひとつ増えた厄介事を乗せて。

――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
――――――――
――――

227: 総支配人 黒曜美咲1/7 2006/07/06(木) 01:02:51.28 ID:enWSAPbUO

『間もなく、当新幹線は新大阪に到着いたします。ご降車の際はお忘れ物に……』
目的地への到着を告げる放送が車内に流れる。
「……ふむ。」
それを聞いた美咲さんは朝に読んでいた文庫本をパタンと閉じ、足元に置いていた仕事用の無骨なデザインのショルダーバッグにしまい込んだ。
「そういえば、会議って何時から?」
「1時だ。12時半にはホテルに入る」
「結構時間あるのな。それまでどうする?」
「昼食をとりながら会議の打ち合わせだ。それから、先に注意しておくことがある」
「何?」
「君なら大丈夫だとは思うが、今日の君と私は『支配人とその補佐』だ。そのことを頭に置いておいてくれ」
それはどちらかといえばこっちの台詞だと思うんだが。

「わかりましたよ、支配人」
「今からでなくてもいい。そんな杓子定規な態度はやめたまえ」
彼女は大真面目に否定する。

 

228: 総支配人 黒曜美咲2/7 2006/07/06(木) 01:03:28.34 ID:enWSAPbUO

「いやまぁわかってるよ。他の支配人の前でこんなナメた口は聞けん」
「私も非常に不本意だが、仕事上部下である君にそんな態度をとらせるわけにはいかんのでな。すまない」
「仕事ですから。当然ですよ」
「仕事でもないのにそんな口を聞くのはやめて欲しい。どうしようもなく寂しくなる」
あくまで生真面目に、そしてほんの少しだけ悲しそうに彼女は抗議した。
……そろそろ冗談も心苦しくなってきたのでやめておくことにしよう。
「……ごめんごめん、悪かった」
「全く……会議などさっさと終わってしまえばいい」
少々苛立ち気味に彼女は漏らす。
「何で」
「君といるのに君と友人として話せないのは耐えられんからな。さ、降りるぞ」
さらりと言い残し、バッグを肩にかけて席を立つ。
「そうかい……」
相変わらず人目をはばからない彼女に溜息をつきながら、俺も彼女に続いた。

少し前まで流れていた窓の外のビル群は、いつの間にか人のごった返すホームで止まっている。
人の多さではこないだの映画の時並みだなと思ったが、その日美咲さんが俺の手を引くということはしてこなかった。

 

229: 総支配人 黒曜美咲3/7 2006/07/06(木) 01:04:02.10 ID:enWSAPbUO

-----

正午過ぎ。
会議の行われるホテルのロビーで、俺達は無為な時間を過ごしていた。
……無為と言えば聞こえはいいが、こっちはかなり参った状況である。
さっきまで「書類には目を通したか」だとか「さすがに今日は暑いな」だとか話しながら一時間も冷房のよく効いた喫茶店で飯食ってたはずなのに、ここまでのほんの5分外を歩いただけでもうあっという間に汗だくだ。

一方、隣に立っている美咲さん……いや、ここからは支配人だったな。
隣に立っている黒曜支配人は、駅を出てからここに至るまで一度も上着を脱ぐこともなく、喫茶店でもブラックのホットを注文して「うん、うまい」とか言ったりしていた。
今も顔に汗一つかかず、背筋をぴんと張っている。疲れている様子も全くない。
なんなんだろうこの人は。やっぱりわからん……

さすがに仕事先でぺちゃくちゃと喋るわけにもいかないので黙ってロビーを眺めていると、どうやらこっちに歩いてくる二人組が目に入った。
白髪混じりで威厳のある顔をした50代ぐらいの男性と、そのやや後ろについてくるいかにもビジネスマン風といった感じの、縁なしメガネをかけた細身の若い男。

『あんたが黒曜さん?』
見てくれの威厳さをぶち壊す軽妙な関西弁で、男はこちらに向かって歩きながら話しかけてきた。

 

230: 総支配人 黒曜美咲4/7 2006/07/06(木) 01:05:19.54 ID:enWSAPbUO

「そうです。失礼ですがあなた方は」
『ああこりゃ失敬。私、今年度からここの支配人やっとる遠藤言います。こっちは副支配人の吉江』
吉江と呼ばれた細身の男が軽く会釈した。
「そうでしたか、失礼致しました。私、掛川店の支配人を務めております黒曜と申します。
それから補佐の川島です。今日はよろしくお願い致します」
丁寧な挨拶を済ませ、綺麗な姿勢を保ったまま深くお辞儀する支配人にならい、俺も頭を下げた。
『はい、よろしくお願いします。
いやね、今年初めて顔合わす人多いでしょ。やから挨拶して回っとるんですわ。
しかし若いですなぁお二人とも。うらやましいわ』
「ありがとうございます」
何とも言えぬ無表情のままで、美咲さんは礼を返した。
『務めはって三年目でしたっけ?支配人。前々から話は聞いてたでぇ、掛川にすごいのが来た、て』
「ありがとうございます」
ほぉ、知ってるんだ。
やっぱこんだけ若くて支配人なんてやってると有名にもなるのかね。

『ほなもう少ししたら会議室開きますから、ここもなんですんで良かったら入ってください。
ほんなら、私らはこれで』
一方的に喋りきり、二人は早足でどこかへ去っていった。

「すごいですね、大阪まで来て名が知れてるなんて」
そう言った俺をちらと見て、彼女は珍しく一瞬言い澱み。

「……面倒なだけだ。」
と、それだけ言った。

 

231: 総支配人 黒曜美咲5/7 2006/07/06(木) 01:06:08.38 ID:enWSAPbUO

-----

午後一時、会議室。

『あー、えー、皆様。おはようございます』
マイクで拡声された声が会議室に響きわたり、俺達の視線は前のスクリーンに向かう。
『それでは、2006年度上半期定例報告会を開会致します。
今回議長を務めさせていただきます、新大阪店支配人の遠藤守です。皆様よろしくお願いします』
たどたどしい標準語で頭を下げる遠藤支配人。拍手。
いよいよ会議の始まりというわけだ。
『えー、ではまず各店の業務報告から……』
前では遠藤氏が何やらごちゃごちゃと喋っている。
どうやら各々が前に出ていろいろ報告するということらしい。

だが今はそんなことはどうでもいい。問題は別にある。
まあ当然といえば当然なのだが、周りに座っているのはいかにも支配人といった風格漂う重役方ばっかりで、自分で言うのも何だが若手は俺達ぐらいのものだ。
ただのじいさん連中の中ならばそれほどではないのだろうが、それがこうもスーツばかり着られて集まられると嫌がおうでも緊張してくるというか圧迫感というか。

あーやべぇ、あがってきた……うああぁぁぁぁ…………

 

232: 総支配人 黒曜美咲6/7 2006/07/06(木) 01:06:50.58 ID:enWSAPbUO

「失礼ですが、そちらの店舗での派遣社員の人数と割合をお知らせ願えますか」

危うく外界からの感覚をシャットダウンしかけていた俺の意識を現実に引き戻したのは、こんな状況でも物怖じせずに立ち上がり、前に出ている名古屋店の支配人に質問を浴びせかけている黒曜支配人の声だった。

『あ、あぁ……失礼。えー派遣は……』
前の二人は慌てて書類をめくり始め、周りがざわつく中で、美咲さんは全く動じることなく堂々と立ったまま返答を待っている。
そして俺がぼんやりしている間に、前の二人が『割合は把握しておりませんが、派遣と契約社員の合計は……』などとごにょごにょと頼りない答えを返し、「失礼しました、ありがとうございました」と一言つけた支配人はようやく腰を降ろした。

「………………。」
「今言ったこと、メモしていたか」
しまった……気が動転してて何も書いてねえ。

「すいません……」
「何故何もしていない」
即座に返ってくる静かな口調。だが俺にはわかる。
ああ、怒られちまった、と。
支配人に怒られるなんて久々だ。確か初めて怒られたのは入社したばっかの時だったかな……
と、つまらない思い出に浸っている場合ではない。

 

233: 総支配人 黒曜美咲7/7 2006/07/06(木) 01:07:37.92 ID:enWSAPbUO

「すいません、緊張して聞いていませんでした」
素直に謝る。こういう時に無粋な言い訳はしないものだ。

と、突然彼女の右手がテーブルの上の俺の左手に重ねられ。
「……しっかりしろ、深澄」
俺を深澄と呼んだ支配人は、優しく諭すようにそう言った。
不思議と恥ずかしくはなかった。

「君は、君の仕事をすればいいんだ。それは私の補佐だ。私と、前の連中の言うことだけを聞いていればそれでいい」
その時の彼女の目は、仕事の時の無心さとも、俺といるときに見せてくれる優しい目とも違う、様々な何かが入り交じったような目をしていた。

その目に。
俺の緊張が溶けてゆく。

「次は私達の番だ。川島君、行くぞ」
いつの間にか名古屋店の報告は終わっていた。案外ペースは早いらしい。
席を立ち、二人で前へと向かう。
毅然と俺の前を歩いてゆく彼女の頼もしげな背中を見て、俺はあの時に見た彼女の姿を思い出していた。

―――こういう美咲さんに、惚れてたんだな―――

思考は鮮明になり、もはや緊張など少しもない。
ああ、今なら何だってやれる。そんな気がする。

……ちょっと人前で書類を読むくらい、お手のものだ。

――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
――――――――
――――

369: 総支配人 黒曜美咲1/6 2006/07/10(月) 01:37:06.23 ID:4jVpywkCO

午後六時半、居酒屋『白本屋』。曇り。

五時間にわたる長丁場を何とか乗り切り、俺達二人はこうして一息ついている。

「お疲れ様、今日はよく頑張ってくれた。ありがとう、深澄」
隣に座る美咲さんがねぎらいの言葉をかけてくれた。
「いや、申し訳ない。あんまり動けなくて」
まったくその通りである。
正直、緊張が抜けたと言ってもなかなか難しい仕事に変わりはなかった。
書類読み上げは前に出た時だけで済んだが、メモの量は半端ではなかった。なにしろ全店舗報告だけで100近くあったからな……。

だが、
「私がよくやったと言ってるんだ。素直に喜びたまえ」
なんて言われてしまうと、嬉しくならないわけはない。
「……ありがとう」
少し遠慮がちに、返事をしておいた。

「うむ。どうだ、今日は疲れたろう。ほら、ちょっとこっちに来たまえ。食べさせてやろう」
そして俺は、危うく口に含んだチューハイを吹き出しかけた。
「ゲッホ……何言ってんのかな」
「これを食べさせてやろうと言っている」
真顔で手招きする美咲さんが構える箸には、なかなかうまそうなマグロの赤身。
「いや、いいよ……自分で食うから」
「マグロはもうこれしかないぞ」
ホントだ……ってそういう問題じゃないけどな。
「ってか前も言ったけど何で隣に座る?」
「カウンターにいるかテーブルにいるかの違いだ。そもそも今そんな事は関係ない」
断固として姿勢を崩さない彼女。

 

370: 総支配人 黒曜美咲2/6 2006/07/10(月) 01:39:41.47 ID:4jVpywkCO

「ってか人が見てるから……」
「では見えなければいいのだな」
俺の苦し紛れの話題逸らしにそう言い放った彼女は、ずい、と急に身を詰めてきた。
思わず後ろに下がる。座敷の囲いの隅に追い込まれる形になってしまった。
「これで不満はなかろう。さあ」
いや、これじゃあ食べさせ云々は見られなくてもこの状況見られたら居酒屋で何してんだって思われるぞ!
「さあ。」
そんな事はお構いなしに近付いてくる美咲さん。近付いてくるマグロの刺身。近付いてくる無表情。

「くうっ……ああもう」

ここまでされたら観念するしかない。
俺は差し出された赤身を半ば箸から奪い取るように口に入れ、出来るだけ素早く飲み込んだ。

「よし、素直でよろしい。今日は君は箸を持たなくていいからな。次はアスパラのマヨネーズあえを……」
まだこのままで食わす気か!!

……結局、この後もいろいろ食べさせられたり手握られたりいきなり抱きつかれたり、頭撫でられたり逆に撫でかえす羽目になったりと、この日の美咲さんは終始この調子でいつも以上の過剰なスキンシップを見せてくれた。酔ってんのか?

 

371: 総支配人 黒曜美咲3/6 2006/07/10(月) 01:41:11.87 ID:4jVpywkCO

-----

午後八時、居酒屋『白本屋』レジ前………。

カチン。
どこかから聞こえるコップを合わせる音。
カシャン。
レジのトレーが開いた音。
ガララッ。
俺が店の戸を引いた音。
そして、

ドザアアアアァァァァァァァァァァァ………………

雨の、音。
「……じゃ、ねぇよな。これは」
うん、雨音としては非常に不適切だと思う。

雨が降っていた。それも凄まじい豪雨である。
大粒の雨が絶え間なく降り注ぎ、それがアスファルトや俺達の頭上の雨除けを叩いてバタバタと音をたてている。
視界はほぼ通らない。足元の排水溝には、大量の雨水が川のように流れ込んでいた。

 

372: 総支配人 黒曜美咲4/6 2006/07/10(月) 01:43:47.50 ID:4jVpywkCO

「傘とか、持ってる?」
うなだれた視線を中空に留めたまま、隣の美咲さんに問いかける。
「生憎だが、雨具の類は何も持ち合わせていない」
だよな。天気予報でも今日は晴れだって言ってたし。
「とりあえず弱まるのを待つか……」
弱まる気配など毛頭なさそうだが、ここなら何とか雨はしのげそうだ。幸い風はないようなので吹き込んでくることもない。
「そうしたいところだが、そうすると新幹線の時間に間に合わなくなるかもしれん」
忘れられていた事実が巡らせていた思案を粉々に打ち砕いた。
「……ヤバいな。」

会話が止まり、少し考え込んでいた美咲さんは、唐突に思ってもみないことを言い出した。
「仕方がない。新幹線に間に合う時間までここで待って、弱まらないならば今日はこっちに泊まろう」
「えぇ!?何でいきなりそうなるんだ!?」
えらく論理か飛躍しなかったか?
「いいか、君の言うとおり今から雨が止むないしは弱まるのを待ったとしよう。そして止んだならばそれでいい。
だが止まなかったらどうする?」
どうしようもないな。
「んー……駅まで走る……かな」
「そうだろう。そして私達は駅まで走る。そして私達は雨具を持っていない。するとどうなるかね?」
「まぁ濡れるな」
「そうだ。この雨だ、駅に着くまでには簡単にずぶ濡れになれるだろう。
そして私達はそのまま新幹線に乗る。この蒸し暑さだ、車内は冷房がよく効いているだろうな」
「………………。」

 

373: 総支配人 黒曜美咲5/6 2006/07/10(月) 01:46:27.30 ID:4jVpywkCO

「さぁ、君はどうするかね?」
どうするかね、って言われても……正直反対する所なんて一つもないんだが。

ただ……どうなんだ?
確かに有効にして唯一の手段ではあるが、ハイハイと受け入れてしまうのもアレな気がする……道徳的に。だからってやめようと言ってもじゃあどうすんだよってことになるしなぁ……
……しかしまぁまさかあのしょうもない妄想が現実になるとはな……ここは男の欲望に従って……!?いや!それはいくらなんでもいかんだろまだ付き合ってもいないんだし……ってまた何考えてんだ俺は……

「深澄」
「うぉい!な、何?」
しまった、ガキ並みの妄想で途中から思考が止まってたぜ。
「もう時間だ。そろそろ動くぞ。
……すいません、この辺りにシャワーがあって予約無しで泊まれるホテルはありませんか」
いつの間にか結構時間が経っていたらしい。美咲さんは後ろで俺達同様に困っていた中年のオッサンにホテルの場所を聞いていた。
『何?自分らホテル探しとん?ホテルやったらあっちによーさんあるでぇ!そこの角曲がってな……』
よほど酔っているのか、妙なとハイテンションでおっさんはホテルの場所を説明している。
よーさん……?どういう意味だったかな……

 

374: 総支配人 黒曜美咲6/6 2006/07/10(月) 01:47:55.91 ID:4jVpywkCO

-----

やがて説明を聞き終えた美咲さんは、これまた礼儀正しくお辞儀をしてからこちらへ振り返った。
「深澄、この近くにホテルがあるそうだ。行くぞ」
そう言うと美咲さんは俺の手を取り、激しい雨の中にためらいなく飛び込んだ。
『アツいなぁ!』とはやし立てる酔っ払いをしり目に、俺は美咲さんに引かれ雨の中をひたすら走る。
目に入る水滴を拭いながら、パンツじゃなかったらあんな豪快に走れないだろうななんて考えつつ俺は美咲さんの後ろ姿を見ていた。
同じスーツ姿でもその時の美咲さんは、今と同じように俺を引っ張っていったいつかのデートの時の美咲さんが俺にはダブって見えた。

「む、あれか」
豪雨の中を走っている間、一言も言葉を発しなかった美咲さんが、何かに気付いたようにそう呟いた。

前を見る。
なーんか立ってるな……HOTEL……?よく見えん……
「深澄、あそこだ」
あぁ、わかってるさ……ってかさ………すごい看板やら建物やらがピンク基調で派手なんだが……
「なんだ、本当に他にもたくさんあるじゃないか。まあいい。一番手前のここでいいな?深澄」
ようやくたどり着いた。もう服はぐしょぐしょだ。

うん……………ここ………………

「ラブホテルじゃん………!」
たどり着いたのは、ホテル街だった。

85: 総支配人 黒曜美咲1/5 2006/07/18(火) 01:00:39.17 ID:riLk/Jy/O

「何をしてるんだ。入るぞ」
茫然自失の俺を差し置いて、美咲さんは平然と俺の手を引いてホテルに入ろうとする。
「え、ちょっと!」
俺は引かれていく手を掴み返し、今まさにホテルへ向かわんとする美咲さんを思わず引き止めていた。

「なんだ、どうした」
「いいのか、ここで」
「ここでは不満なのか?ならば隣に」
「そうじゃない。何でわざわざラブホなんか入るんだ?泊まるとこぐらい他にもあるだろ」
俺は激しく動揺していた。
泊まるのはいいとしてこんなところに来るなんて考えてもなかったぞ……さすがの妄想もここまで来ると行き過ぎだ。
いや待てよ、でも入っちゃえばこれは一気にイケるかもよ?まあどこに行くかはあえて言わんけども………いやダメだダメだダメだ何リアルに考えてんだ。
ありえないとわかってるからこそ出来るくだらん妄想だろうが!実際起こったら受け入れる方がどうかしてる!
……でも完全拒否も男としてどうかしてるんじゃないか……

……等とどっちつかずの葛藤の中でむくむくと鎌首をもたげてくる青い欲望と崩壊寸前のモラルの狭間で大いに焦りまくる俺に向かって、
「いや、ここしかない」
と、彼女はきっぱりと言い切ってくれた。
「何で!?」
語気を強めて聞く。

「……とにかく屋根の下に入らないか。ここで話していても濡れるだけだ」
答えこそ返ってこなかったものの、美咲さんの言うことももっともではある。
ひとまず俺達は目の前のラブホテルの軒先に並び、降りしきる雨から逃れた。
いや、別に入る気になったんじゃないぞ。雨に濡れるのが嫌だという意見に賛同しただけの話だ。

 

86: 総支配人 黒曜美咲2/5 2006/07/18(火) 01:02:15.61 ID:riLk/Jy/O

-----

ザアアアァァァ……
未だに雨は弱まることなく降り続けている。
「うわぁ、ひでぇ……」
はたいてみると、ピシャッという大げさな音と共にかなりの量の水滴が飛び散った上着を見てごちる。
その隣でかなりの水気を含んでいるであろう長い髪を絞りながら、美咲さんは再び口を開いた。
「君はせっかく見つけた宿泊施設をみすみす見逃すというのか?それにこの時間から予約も無しに泊まれるホテルなどそうなかろう」
「えー……ああ、まあ、そうかもな」
さっきの話の続きだと理解するのに2秒ほどかかった。
確かに言われてみればそうである。

「そういうことだ。さあ、風邪をひく前にさっさと入ろう」
えええええ説明終わりかよ!!
俺の納得を待つことなく、美咲さんはまた俺を引っ張って行く。あっという間にロビーまで来てしまった。
幸い無人のタイプで、話を聞かれることはなさそうだ。全然嬉しくないけどな。
「待てよ!」
「何だ……君は何故そんなにここに泊まるのを嫌がるんだ?」
「あのな……俺も男だ。こういうとこで、どうにかならない自信がねーんだよ」
不思議なくらい今まで触れられなかった問題点に、俺はようやく触れた。

 

87: 総支配人 黒曜美咲3/5 2006/07/18(火) 01:03:40.12 ID:riLk/Jy/O

「どうにかとは、どうなるのかね?」
「……本気で言ってるのか」
おそらく本気なのだろうが。
「当然だ。で、ラブホテルに泊まると何か起こるんだ?教えて欲しい」
んなこと俺に言わすか……
「何って……だから、アレだよ。その、何だ、あ……過ちとかだよ!あやまち!」
過ちというのも古臭い言い方だなと、言ってから思った。

「あやまち……?
……なるほど、セックスか」
「なっ………」
照れも恥じらいもなく彼女は言った。
「君が性欲を堪えきれず私を襲ってしまうかもしれないというわけだな」
普段の会話と全く変わらぬ様子で彼女は語り、そして納得している。
「いや……あの……」
「結構なことじゃないか。君が私に欲情するということは、君は私を女として見てくれているということだ。光栄だよ」

場所を間違えば痴女にも見られかねないようなことを、彼女はあっけらかんと言い切った。無論、無表情のままで。

 

88: 総支配人 黒曜美咲4/5 2006/07/18(火) 01:05:38.21 ID:riLk/Jy/O

「なっ……何言ってんだ!!」
「君からそういう事を指摘してくるとは思っていなかった。心遣いありがとう」
礼なんて言われてる場合か!
「わかってんなら何でこんなとこ選ぶんだ!?」
「今、この状況でこのラブホテルに泊まるのが、私にとって最良の判断だからだ」
俺を意にも介さず彼女は続けた。
「どこをどうすりゃ最良になるんだ!?」
「理由が必要なのか?ならば言おう。
まずシャワーだ。濡れた体を温めて乾かせなければ泊まる意味が無い。もし他に条件に叶った宿泊施設があるとしても、ここを離れてわざわざ他を当たる必要性を私は感じない。
何より私は元々機会があればラブホテルに来てみたかった。サービスの参考になる点があるかも知れんからな」
適当にとってつけたかのように、美咲さんは矢継ぎ早に理由を述べた。
「けど………」
「そしてその結果君が私とセックスしたいと思ってしまうのならば、私は構わない。」
「はぁ!?」
今度は何を言い出すかと思えばヤられちまってもいいだと?いくらなんでもふざけすぎだ。
「何でそんなこと言えんだよ!?わかってたらヤられてもいいのか!?そんなの駄目だろ!!」
思わず怒鳴る。生憎俺はフリーセックスなんて観念は持ち合わせていない。
「なにも私は襲えとは言っていない。もしそうなれば、私は受け入れると言っているだけだ」
何でこの人は自分のことまでこうも……あぁくそ!!
「意味わかんねぇよ!」

「私は深澄を信じている。そのような粗暴なことはしないとな」
俺の恫喝に動じることなく、真っ直ぐな目で言葉を返してくる。その目に、こちらも冷静にならざるを得なかった。

 

89: 総支配人 黒曜美咲5/5 2006/07/18(火) 01:07:40.92 ID:riLk/Jy/O

「……何でわかる?」

「君は、『分別のある人間』なのだろう?」

返ってきたのは、行きの新幹線で言っていたあの言葉。
彼女は続ける。

「一緒に入るのが君だからこそ、というのも含めて最良の判断なんだよ。」
少しだけ顔を緩めて、彼女はそう言った。

君だからこそ。
それは一体どういう意味なんだろう。
そんなこと、聞けるはずもない。

「……本当にいいのか」
「さっきからいいと言っている」
どこかにあらぬ期待が混じっているのも確かだ。
美咲さんがそう言っているから、なんて大義名分をかざしているのかもしれない。ぶっちゃけその通りだ。

でも。
本当に好きなのなら、その信用に答えてやるのも、ありだろう?……言い訳臭いかも知れんがな。

「……わかった。行こう」
「よし。では部屋を決めよう。シャワーのある部屋を選ばねばな。ここから選べばいいのかね?」
さっきまでの重苦しい会話など無かったかのように、平然とした様子で壁のパネルを指差しながら彼女は聞いた。
「……どれでもあるよ、シャワーぐらい」
少しだけぶっきらぼうに、俺は知ったかぶった答えを返した。

 

90: 総支配人 黒曜美咲 おまけ 2006/07/18(火) 01:10:09.22 ID:riLk/Jy/O

おまけ

―――部屋選び
「どれを選べばいいんだ?」
「いいだろ、どれだって。風呂入って寝るだけなんだから」
それで済んでくれればいいんだが……
「いや、料金は一律のはずだ。ならば一番設備の充実した部屋に泊まるべきだろう」
「そんなセコい事考えんでも……」
「すみません、誰かいらっしゃいませんか―――」
「!! 何やって・・・」
『お呼びしましたか』
「空いている部屋の中で最も設備の充実した部屋はどれか教えてくれないか」
『えぇ……そうですね……こちらの406号室などいかがでしょう』
「そうか、ありがとう。ここに泊まらせてもらうよ」
『はい、ご利用ありがとうございます。何かありましたらお申し付け下さい』
「うむ。そうさせてもらおう」
『それでは失礼致します』

「……………………。」
「行こう。406号室だ」
「……何でそんなことわざわざ聞くんだ…………?」
「言っただろう。サービスの参考になるかもしれないと。参考になる点は多い方がいいだろう?
それとも君は質素な部屋の方が好きなのかね?」
「マジだったのか……」
「ほう……24時間軽食サービスか。なかなか斬新だな。深澄、後で頼んでみようか」
「聞いちゃいねぇ……」
あぁ…………風邪引いた方がマシだった………………

――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
――――――――
――――

320: 総支配人 黒曜美咲1/6 2006/07/24(月) 01:37:51.84 ID:f9TMLtGrO

「406……ここだな」
どうやら……部屋に着いたようだ。

「鍵はないのか?」
ドアの前に立った美咲さんは振り向き、相変わらずの落ち着いた口調で俺に聞いた。
「開いてるだろ、多分」
やる気なく俺は答える。
「そうか」
向き直った美咲さんはドアノブに手をかけ、捻る。
何ともあっさりと、406号室のドアは開いた。

-----

彼女は戸惑うことなく奥へと進み、俺達は短い廊下を通ってベッドルームに出た。
薄いベージュの壁紙に彩られた、至ってシンプルな部屋だ。もちろん回転うんたらやらコスチュームうんたらやらは無い。
残念ながら作sy……俺にそんな趣味は無いのだ。

視界に入ったのはテレビ、冷蔵庫、外が暗い事だけがわかるすりガラス、そして……枕が二つ並んだベッド。

ああついに来ちまった。来ちまった部屋まで。

「では早速風呂に入ろうか」
そして極限の緊張のあまり押し黙っていた俺に、美咲さんは確かに「入ろうか」と呼びかけた。

入ろう「か」。

その微妙な日本語のニュアンスにようやく気付いた、その瞬間。
俺は美咲さんの手によって風呂場の脱衣所に引っ張り込まれていた。

 

321: 総支配人 黒曜美咲2/6 2006/07/24(月) 01:39:19.41 ID:f9TMLtGrO

「なな…………何だ!?」
あまりの出来事に混乱して頭が回らない。

そんな俺を気にも留めず、美咲さんはずぶ濡れたスーツの上着を脱ぎ。

ネクタイを取り。

湿って透けたシャツのボタンを外し、脱ぎ捨て。

そして背中に腕を回し…………

「ぁぁぁぁぁああああああ!!!!」

俺は脱衣所から脱兎の如く駆け出した。
……黒だった。

「どうした、具合でも悪いのか」
すぐ後ろから美咲さんの声が聞こえる。
「いきなり脱ぐなよ!」
振り向かず、うつむいて床とにらめっこしながら呼び掛ける。
「何故だ?」
「何故って……普通恥ずかしがるもんだろ?だいたい何で俺を風呂に連れ込む!?」
「待たせていてはその間に体が冷えてしまうだろう。当然の判断だ。
それで君の体に障るのを防げるのなら、私が裸を見られることなどさしたる問題ではない」
確かにそうだな。けど今の俺にそんなことさせて手を出さん自信は皆無なのだ。

 

322: 総支配人 黒曜美咲3/6 2006/07/24(月) 01:41:06.29 ID:f9TMLtGrO

「そうか……そうかも知れんな。けど俺はそんなこと出来ん」
「何故だね?こちらを向いて説明してくれないか」
「!!」
何の気配もなく突然耳元で囁かれ、思わずのけぞりながら声の方へ振り向く。

……そこには、トップレスになった美咲さんが……堂々こちらを向いて立っていた。

「だああああああ!!!だから隠せよ!!」
「何をだ?」
「胸!!!!」
顔を伏せながら叫ぶ。
一緒に入ろうとか見られてもいいとか、一体どういう神経してんだこの人は。

「隠したぞ。いい加減顔を見せてくれないか」
少しだけ不服そうに言われ、恐る恐る顔を上げる。
一応美咲さんは胸を隠してくれていた。
……左腕で。

目の保養……もとい目の毒が視界から隠されて、俺は今の状況をようやく冷静に見つめ直すことができた。
つまり美咲さんをまじまじと見ているということだ。

正直に言おう、見とれてしまいました。
こう申し訳程度に添えられた左腕で隠された胸は形を隠し切れていないし肌は透き通るように綺麗だしその肌に付いている水滴‥雨水だろうそれは玉みたいに弾けて上半身にくまなくまとわりついていて……今の雰囲気もあいまって……。
……正直に言おう、めちゃくちゃエロいです。
さっきから自分のナニは痛いくらいアレっています。何で敬語なんでしょう、誰か教えれ。

 

323: 総支配人 黒曜美咲4/6 2006/07/24(月) 01:43:54.67 ID:f9TMLtGrO

「やっと見てくれたか。で、何故一緒に入るのを拒むんだ?」
「そんなことしたら俺が何しちまうかわからんからだ」
「何とは、セッ」
「あぁ言わんでいい言わんでいい!そうだから!
この際はっきり言おう……今でさえそのカッコ見てかなりキてるんだよ。このまま風呂なんて一緒に入ったら間違いなく我慢が利かなくなる」
「そうなのか。だが私は構わないと言ったはずだぞ、早くしたまえ。あまりそっちにいると床が濡れてしまうだろう」
「おわぁ!」
俺の真剣な訴えもろくすっぽ聞かず、美咲さんは空いた右手で俺を再び脱衣所へと引き込もうとする。
あああ左手があんなことに使われてるせいでヘタに抵抗できねぇ!
「待って……待ってくれ!マジで!!」
「何を待つんだ。部屋に入った以上、風呂に入るのが先決だろう」
「アッーー!!」

-----

……というわけで、半ば強制的に風呂場に連れ込まれた俺である。
その後は悲惨だった。
俺を引き入れるなりパンツを脱ぎだした彼女を必死に説得し、何とかショーツ+左腕に留まらせ、俺は服を脱ぎ散らかして急いで先に浴室へ。
アレな下半身を隠すべく、湯もたまっていない浴槽に身をちぢこめて入っていると、何故か彼女はなかなか入って来ず。
気にかかり、振り返って脱衣所の方を見たところに今度こそ全裸の美咲さんがガラリ登場だ。
一寸前までのように後ろを向いてればよかったのに、余計な心配したせいでモロに拝んでしまった。
「うわっ……ごめん!」
「何故謝る?」
「見ちゃったから……頼む、バスタオル巻いてくれ……」
「……わかった」
とまぁしたくもない予想通り彼女の反応は淡白なものだったんだがな。

 

324: 総支配人 黒曜美咲5/6 2006/07/24(月) 01:46:30.85 ID:f9TMLtGrO

その後、一旦浴室を出てバスタオルを巻いて戻ってきた美咲さんに「酒飲んだ直後に風呂入ると危ないらしい」なんていう強引な言い訳でシャワーのみにしてもらい、いっそのこと思いのままやってしまおうかと美咲さんの方に振り向きたがる体とその先にいる彼女の
「どれ、背中でも流してやろう。来たまえ」
という今の俺を大いに揺さぶる誘いに打ち克ちながら「後で浴びるから、後で洗うから」と無心に繰り返し続けて20分、ようやく彼女は浴室を後にしたのだった。

そして俺はようやく浴槽を出ることができ、彼女が脱衣所で体を拭いている時間も考えてゆっくりとシャワーを浴びた。

しかしまあよく我慢できたよな、俺。
途中でシャワー借りる時に頭洗ってるとこ見ちゃった時はかなりそそられたし。特にうなじが。
俺はうなじフェチだったのか?いやあれは誰でもそそられるぞ……くそっ、頭ん中ピンク一色になってやがる。
……けど……エロかったなぁ……美咲さんの裸………

……と、こんなことばかり考えていた。どうやらピンク脳は時間感覚が短いようで、いつの間にか隣の脱衣所からは人の気配が消えていた。
ボディーシャンプーもそこそこに、俺は浴室の熱以外でのぼせかけていた頭で浴室を後にした。

-----

ホテル備え付けのバスタオルで体を拭いていると、ふとあることに気付いた。
壁にある出っ張りに、ずぶ濡れになった俺と美咲さんのスーツ一式が、見覚えのないハンガーによって丁寧に掛けられていた。
……そうか、だから遅かったのか。
こりゃ悪いことしちまったな。お礼言っとかなきゃ。

そしてバスタオルのあった場所の隣に置いてあるバスローブに手を伸ばそうとした、その時。
俺はもう一つの、重大な事実に気付いてしまった。

 

325: 総支配人 黒曜美咲6/6 2006/07/24(月) 01:48:47.41 ID:f9TMLtGrO

丁寧にハンガーに掛けられたスーツ。
なんとその下には、俺のも美咲さんのも含めた「下着」が、これまた丁寧に広げて乾かされていていた。
……黒……まあいい!あの人だってわかってやってるんだろう……問題はそれより右にある。

下着群(俺命名)の右には、完全に濡れているバスタオルが一枚畳んで置かれていた。おそらくさっきまで美咲さんが巻いていたものだろう。
……だが、俺が今使ったバスタオルには全く使われた形跡がない。
大抵この手のホテルは二組分くらい置いているのが普通だろう。
そして残っているバスローブは一着。つまり……彼女は体を拭かないままバスローブを着ている可能性が高い!!
……しまった、俺が「バスタオル巻いてくれ」なんて言ったからか……自分の身勝手さに罪悪感。だが今はそれに浸っている場合ではない。
そんなことをすれば、むしろ彼女が風邪をひいてしまう。
俺は急いでバスタオルを腰に巻き、幸い手も触れなかったバスローブをひっつかんで脱衣所を飛び出し、短い廊下を抜けてベッドルームへと飛び込んだ!

「美咲さ……ん……!?」

そしてそこには。

濡れそぼって、無造作に投げ捨てられたバスローブ。

そして、何故か再び全裸でベッドに乗り、シーツにくるまっている美咲さん。

そして……

「あッ・・・・・んっっ・・・・うああっ」

…………そこには、信じられない光景が広がっていた。

――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
――――――――
――――

56: 総支配人 黒曜美咲1/7 2006/07/31(月) 00:49:04.71 ID:2WcO67beO

急いで俺が向かった、その先には。

少し湿ったバスローブと。

ベッドの上で、裸でシーツにくるまっている美咲さんと。

……その視線の先で、安っぽい喘ぎ声をあげるAV女優がテレビ画面に映し出されていた。

「ああっ!・・・・感じちゃうなんて・・・くやしい・・・・」
テレビからは、扇状的な音声と映像が流れ続けている。
それを、美咲さんが、裸で、見ている。
その美咲さんの所々素肌の見え隠れする後ろ姿は、テレビの中身よりもよっぽど扇状的で。
それは実に、実に奇妙な光景だった。

だが、声をかけようとして絶句したのはそれだけが理由ではない。

その後ろ姿を見たとき、彼女は何故か、流れ続けるAVとはまるで対照的な………
……そう、あえて言うならば、「高潔」な空気を、彼女はまとっていた。

……なんというか、近付きがたい。
今、こんな格好をした彼女には話しかけてはいけない、そんな気がしたのだ。

それと同時に、ラブホテルでAV鑑賞なんていうとんでもなく妖しい状況でまで、どうしてこんな雰囲気を醸し出せるのだろうと俺は不思議に思っていたのだ。

 

58: 総支配人 黒曜美咲2/7 2006/07/31(月) 00:51:14.05 ID:2WcO67beO

「ああ、深澄。あがったのか」
俺の出し抜けな声に気付き、そう言って彼女はあっさりとテレビを止めた。
あっという間に遮断された乱れ声と共に、彼女の「あの空気」はどこかへと消え去り、そこにはいつもの見慣れた美咲さんがいるだけだった。

「どうした、大きな声を出して」
普段通りの、感情の起伏を含めない口調で彼女は言った。
「いや、拭くもんなくて困ってるんじゃないかと思って……それで体拭いたのか?」
床に落ちているバスローブを見ながら問いかける。
「ああ」
「……ごめんな、着るもん無くさせちゃって」
「それは君の方だろう。湯上がりにそんな格好をしていては湯冷めするぞ」
「ん、あ、いや………」
そりゃ美咲さんもだよ、と言いかけて、それがあまりに無神経だと気付いて言うのをやめた。

「……これ、着なよ」
右手に持ったバスローブを差し出す。
「ああ、ありがとう。だが、それを私が着てしまうと君の着るものがなくなってしまうだろう。それは君が着たまえ」
「いいから」
ベッドに近付き、半ば無理矢理バスローブを押し付ける。俺の強引な態度に驚いたのか、彼女は普段より少しだけ目を見開いてバスローブを見つめ、そしていそいそとそれを着始めた。

体が正面を向いたせいで、無防備にはだけたシーツの隙間からは谷間やら生々しい腰のくびれやら何やらが色々見え隠れしている。
だが、風呂場でのてんやわんやのおかげで「あれを耐えたんだから大概のことは大丈夫だ」と根拠もない自負があるせいか、妙に冷静を保てている自分がいた。
そんな俺は別段何に取り乱すこともなく、その不用心な格好の美咲さんから目線を足元に逸らしながら
「ふう・・・・」
短く溜め息をつき、近くのソファに腰掛けた。

 

60: 総支配人 黒曜美咲3/7 2006/07/31(月) 00:53:10.94 ID:2WcO67beO

「本当にいいのか?」
少し顔を上げる。
バスローブを着ながら、申し訳なさそうなそぶりで美咲さんがこちらを見ていた。
腰のひもをまだ結んでいないせいで、体の中心線あたりが丸見えだ。
視点は自然に顔から少しずつ下にずれていく……と、妙に危険な予感がした。
「いいって」
慌てて視点を足元に戻し、返答する。こういう時は男が我慢するもんだ。

「―――だがその格好では寒いだろう。ここに来たまえ。私が温めてやろう」
さらりと彼女はのたまった。
手前のシーツをめくり上げて、そしてこちらを見た。

着慣れていないのかそれともわざとやっているのか。
おそらく本人は気付いていないだろうが、着方が不十分なせいか元々よりかなり空いている胸元は、片腕をつき少し前かがみになっているせいでかなり強調されることとなっていた。
ここで「さ……いらっしゃい」とでも言えば、男なら誰もが一度は憧れる大人のお姉さんの完成だ。

そんなこととは露知らず、エロティックな前傾姿勢でベッドの隣へといざなう彼女。

……普通ならこういう時は『小悪魔的な』だとか何とか、そんな表現をするものなんだろう。
だが彼女はそんな悪戯な目も表情もしていない。ただひたすらに真面目な仏頂面だ。

ゆったりとかけていたソファからゆっくりと立ち上がる。

「……わかった」
……そして何故俺は何の疑問も持たずにベッドに向かってるんだ?
まさか彼女は小悪魔どころじゃない、本気で人を魅入らせる『悪魔』なんじゃないか?
普段なら思いもしないような文学的空想的な事を考え付くほど、俺は不思議なくらいの平静を保ったまま、すんなりと美咲さんの隣に横たわった。

 

61: 総支配人 黒曜美咲4/7 2006/07/31(月) 00:54:39.18 ID:2WcO67beO

後ろで少しもぞもぞという感覚があり。

やがて、後ろからシーツが優しく掛けられた。
そして背中に直に伝わる、温かくて柔らかい感触。胸板に回される細い腕。

「どうだ、寒くないか」
「――――――。」

「大丈夫か?深澄?」
「ああ、あったかい……」

ありのままの感想を述べる。
ああ、いつ以来だったかな。人肌に抱かれるなんてのは。

「よかった……なぁ、こっちを向いてくれないか、深澄」
次々と彼女は困った要求をしてくれる。
そうしたいところだが、これだけ密着したせいで元気になってしまったナニを美咲さんに向けるのは少々はばかられた。
……今考えてみたら、あんなエロい格好で誘われて勃たなかったのは奇跡に等しい。

「……勘弁してくれ。歯止めが利かなくなる」
「………そうか」
言い訳だ。歯止めなんてとっくに無くなってる。
初めのうちはまだ付き合ってないだの相手は支配人だの仕事中だの出張先だの考えていたが、そんな下らない理性のタガはあのソファから立ち上がった瞬間にすっ飛んでしまっていた。
今はただ単に、俺が動こうとしてないだけだ。

 

62: 総支配人 黒曜美咲5/7 2006/07/31(月) 00:55:54.46 ID:2WcO67beO

「……ごめんな、こんなことになっちまって」
ふと、言う。

「どの問題に関して君は謝っているんだ?」

「……いろいろ。」

曖昧な答え。
俺のせいで裸にさせちゃったこととか。
今現在含めて色々世話焼かせちゃったこととか。
……こうなるのを避けることも出来ずに、ここまで来ちゃったこととか。
いろいろ、だ。

「……………………。」

「……………………。」
その後、彼女が言葉を続けることはなかった。

沈黙と雨音が戻ってくる。

雨足は、未だ強い。

 

63: 総支配人 黒曜美咲6/7 2006/07/31(月) 00:57:06.58 ID:2WcO67beO

-----

「深澄」
「うん?」
15分とも30分とも、時計を見ていないからわからないがそれぐらいだろう、雨音に支配されていた長い沈黙を破ったのは、背中越しの彼女の声だった。

「君は、私のことが嫌いか?」
一瞬ドキリとする。彼女からそんなネガティブな質問が出るのは珍しかったから。
「……そんなことない、好きだよ」

「では何故、私を抱こうとしない?」
一瞬で終わるかと思われた拍動の高まりが、さらに強くなる。

「……なんでそうなるんだよ」
「男性というものは、好きな女性とセックスしたいと思うものではないのかね?」
そりゃそうだよ。つーか男なんてみんな好きでなくてもやりたいもんだよ。何なら今すぐ振り向いて覆い被さってもいい。

でも。

「……言ってただろ。美咲さん」
俺のこと信じてる、って。

理性ではない。
自分の意志でもない。
彼女の期待を裏切らないためだけに、俺はひたすらに背中を向けているのだ。

 

64: 総支配人 黒曜美咲7/7 2006/07/31(月) 00:57:56.25 ID:2WcO67beO

「……確かに言った。だが私は、君に抱かれるのが嫌なわけではないとも言った」

……やめてくれ。
それを言われたら、俺はきっと。

「ふむ……もういい。もうこの際言ってしまおう」
意味不明な一言、そして一呼吸おいて。

「私は今、君に抱かれたいと、そう考えている」

明確な意志を持った、答え。
俺にはそれが、まるで悪魔の囁きのように聞こえてならなかった。

 

115: 総支配人 黒曜美咲1/8 2006/08/09(水) 01:43:31.66 ID:a+l5EZmYO

彼女は、確かに言った。
抱かれたい、と。

だが、いいよと言われたからそれじゃあ、なんて気には、今の俺の心境ではとてもじゃないがなれるはずもなく。

「……何で……そんなこと、言うんだよっ………!」

全くと言っていいほどそうしなかった彼女が、急に私情を交えたことに対する、驚き。
なんとなく縁がなさそうだと思っていた「女」の部分を、突如として露わにしたことに対する、戸惑い。
そもそも何故、いきなりセックスしたいなんて言い出すのかという、疑問。
そして、これ以上俺を惑わせるつもりなのかという……怒りのような、困惑のような。

様々な感情が入り乱れ交錯し、俺にそう叫ばせていた。

「――――――――――。」

返事はない。
背中越しの、沈黙。

 

116: 総支配人 黒曜美咲2/8 2006/08/09(水) 01:44:33.41 ID:a+l5EZmYO

「抱かれれば、君を好きになれると思ったから」
そして意を決したように、彼女は言った。

「……どういう意味?」

「君を見習ったんだ」
「何を見習ったっていうんだよ」

「君は、私が高井君を助けているところを見て、私を好きになったと言った。
なら、君から私に何かアクションがあれば、私も君を好きになれるんじゃないかと思った。
だから私は、君に抱かれたい」
「…………………!!」

機械みたいに澄ました声で、彼女は言い終えた。
その告白が、昔の苦々しい思い出と、重った。

大学受かってこっちに来て。
田舎風情からようやく垢抜けて、サークルにも入って、必死で友達作って。
そんな中で、石川から出てきた田舎者がそんなに面白いのか、妙に可愛がってくれるひとがいた。
なりゆき。呼び出し。「抱いて」と言われ。
都会の人間はこんなにも軽々しいものなのかと思いながら、俺はいとも簡単に肌身を晒す「女」を前にして、ただ湧き上がる不埒な欲望を抑えきることができず。
そして一夜明け、一言。好きだ、と、告げられた。

俺は、激しい後悔の念に襲われた。
まるでこのひとを、セックスをもってして征服してしまったんじゃないかと。
性欲だけで彼女を抱いたのに、そのせいでこのひとに俺を好きにさせてしまったんだと。

 

117: 総支配人 黒曜美咲3/8 2006/08/09(水) 01:45:44.97 ID:a+l5EZmYO

もしかしたら、そうではなかったのかもしれない。
だが。
俺自身が、その可能性を、許せなかった。

「………やめてくれ」
それ以来ずっと、そして今も………俺は、恐れ続けた。
せっかく好きになれた彼女にまで、同じあやまちを繰り返させてしまうことが、俺は怖くてたまらなかった。

たとえ相手が、それを望んでいるとしても、
「そんなことで、好きになって欲しくない」
自分自身が、それを知っていて受け入れられそうになかった。

「……ありがとう。言ってよかった。」

重苦しい空気は、案外早く取り払われて。
そして返ってきたのは、まるで見当違いに聞こえる「礼」。
彼女は続ける。

「元々話すつもりはなかった。でも、ここまで来ても君は何も手を出さなかった。だから話した。
すまない。騙すようなことをして」

今度は謝られた。
彼女は何も悪くないのに。
俺のせいで話させたようなものなのに。

 

118: 総支配人 黒曜美咲4/8 2006/08/09(水) 01:46:59.71 ID:a+l5EZmYO

「でも君は、嫌だったんだな。そういうのが」
「違う!」
急いで否定した。彼女が思っているような善人では、俺は決してない。
初めからそう思ってなどいない。今彼女が本心を話してくれたからこそ、決断できたのだ。

「何が違うのかね?」
「俺だって……美咲さんがそう思ってるって知らなかったら、きっと……やっちゃってた。
話してくれてありがとう。それから…………ごめん」
俺は恥じた。彼女の内心を知る一寸前まで、己の欲望に身を任せてしまおうと開き直っていた自分がいたことに。
結局俺は、彼女の期待に答えられなかったのだ。

「……私だって、初めからセックスを通して君を好きになろうなんて考えてはいない」

……え…………………?

「様々な状況が重なった結果、こうなったんだ」
「様々な、状況?」

「……寂しかった」

初めて、声が弱った。

 

119: 総支配人 黒曜美咲5/8 2006/08/09(水) 01:48:19.53 ID:a+l5EZmYO

「最初にホテルに入ったときから、君はちゃんと私の言い付けを守って、仕事にふさわしい態度で私に接してきた。私は偉いと思った。
でも、少しだけ期待していたんだ。
君は、いつもみたいに普通に話しかけてくるんじゃないかって。
もちろん私の勝手だ。身勝手な妄想に過ぎない。君は何も悪くない」

「だが……それから仕事の間、私はずっと寂しかった。
二人でいるのに上司として振る舞わなければならないのがもどかしくて、どうしようもなく寂しかった。
……すまない。こんなこと、本人の前で話すべきではないな。今日の私は少しおかしい…………」

そう、言われた瞬間。

あの時、一瞬言い澱んだ彼女が。
会議の席で、俺の名を呼んだ彼女が。
居酒屋で、妙に絡んできた彼女が。

すべて、ひとつになった気がした。

「要は私は、体よく利用したのだ。この状況を、自分自身の寂寥を埋めるために」

そうだったのだ。
俺が寂しい思いをさせたせいで、彼女は想い余って抱いて欲しいなんて言っていたのだ。
そこに、「俺から何かされれば」という考えが結び付いてしまったのだ。

「だが君が嫌だと言うのなら、無理に抱いてくれなくていい」

「――私も、君が嫌がることをさせてまで、君を好きになりたくなどないからな」

「――――――――。」

 

120: 総支配人 黒曜美咲6/8 2006/08/09(水) 01:49:46.62 ID:a+l5EZmYO

その一言。
それが最後のスイッチとなり、俺はすぐに後ろに振り向いていた。
「ぅん……!?」
久方ぶりに見た彼女の表情は、少しびっくりしていてもやはり無機質に変わりないものだった。
そういえば初めて彼女が驚いたところを見た気がする。
それから、まだナニの萎え具合が不十分な気もする。
しかし、そんなこまごましたことは気に留めてなどいられない。

彼女の顔を自分の胸に抱えるように、俺は彼女を抱きしめた。

「……ごめんな。今の俺には、美咲さんは抱けない。
これくらいしかできないから。ごめん」

ごまかし。繕い。
そんなものでも、自分が納得しないよりよっぽどマシだ。

そして彼女は、そんなごまかしに。

「……本当に君は……分別がありすぎる…………!」

口振りは、珍しくも怒っているようで。
長い髪ごと抱いて隠れて、窺いしれぬその顔で。
少しだけ、回した腕の力を強めて。
今日何度目かになる科白を、彼女は告げた。

 

121: 総支配人 黒曜美咲7/8 2006/08/09(水) 01:51:09.81 ID:a+l5EZmYO

-----

美咲さんに背中を向けているときは見えなかった時計が、彼女の方を向くことによって目の届く範囲に入っていたことに気付いた時には、ホテルに入ってゆうに2時間も経っていた。
そのほとんどは、腕の中の彼女が最後に言葉を発してから今に至るまでに消費されていたのだが。
……流石に一時間も黙ってこのままでいられると、もしや寝てるんじゃないかと心配もしたくなるし、ずっと添い寝しているこっちも、正直疲れる。いろんな意味で。

「…………起きてる?」「ああ、起きている」
「っっ!!」
即答かよ!しかもものすごいはっきりと!
「起きてたのか……何か言ってくれればよかったのに」
よかった……寝ていると思い込んで眠っている彼女にもしも甘いセリフでも吐いたりしていたら、自分の中で一生ものの辱めになっていたところだ。
「君に抱かれていたら心地よくてな。ずっと満喫していたよ」
「そうか……」
そして相変わらず甘ゼリフ製造機な彼女である。

「そうだ……そういえば今何時だ?」
「今は………10時半過ぎ」
「そうか」
短く返事をすると彼女は、勢いよく上体を起こして部屋を見回した。
「うおっ……何するつもりだ?」
「客室の設備を見て回らねば」
そう言い残して、彼女はベッドを降りて部屋をくまなくうろつき始めた。

 

122: 総支配人 黒曜美咲8/8 2006/08/09(水) 01:53:02.87 ID:a+l5EZmYO

「今からやるのかよ……(笑」
ベッドに一人残って、俺は部屋中をバスローブ姿で引っ掻き回す彼女を見て、俺は何だか妙に安心した。
「ふむ……そういえばテレビのアダルトチャンネルが無料だったな……」
冷蔵庫を覗き込みながら、何やら彼女は妖しげなことを思案している。

そこには、俺の知っている、いつもの美咲さんが戻ってきていた。

今日聞いた、彼女の本音。
なら、今まで俺の手をつないできたり、抱きついてきたりとかいうのも、俺を好きになるためにしてくれていたのか……なんてのは考え過ぎか?
………ま、それもいいだろう。そう思えば、彼女の過剰なスキンシップだって……嬉しくなるというものだ。

「深澄、軽食を頼もうと思うんだが、君はどうだ?」
そんなことを考えていると、部屋の電話のそばにいた美咲さんからお呼びがかかった。どうやら、出来ることは全てやる気らしい。
……さっきまで真剣なムードだったのが、まるでなかったかのように受話器を抱えてこちらを見つめる美咲さん。
そんな、彼女らしい彼女が、微笑ましくて。

「…………ふっ」
「む、何がおかしい」
「……何でもない!俺はいらないよ。うまそうだったら美咲さんのわけてくれ」
「むう……わかった。だが箸やらスプーンやらは一本しか付いてこないぞ」
「!! ちょ、やっぱ俺も」
「ああもしもし……ああ………そうだ、軽食サービスとやらを一つ」
「あ、うう………………」

雨は、いつの間にかあがっていた。

きっと明日からは、よく晴れるに違いない――――――

 

 

にほんブログ村に参加してます。

にほんブログ村 2ちゃんねるブログ 2ちゃんねる(SS)へ
にほんブログ村

SSまとめサイトさんがたくさん紹介されますので、

興味があれば是非飛んでみてくださいね。

-新ジャンルスレ
-,

Copyright© 俺得SSあーかいぶ , 2018 All Rights Reserved.